『独白記』  (作 ベスト氏)

  3


独白記−3

それでは、本丸の猿轡シーンについてのことを色々書かせていただく。

まず、ある本で読んだことがあるのだが、

「人間の性欲中枢は、後天的なものであり、3歳頃から7歳頃までの間に形作られる。

男性の性欲中枢は、女性の約2.7倍の大きさであり(決して男が女の2.7倍スケベという事でないとの事)幼少期の過ごし方よって、その発育具合が決まる。その発達程度の差異が、性愛の違いになる。同性愛や不感症なども決して先天的なものではなく、幼少期の育ち方・性欲中枢の発達の違いである。」

そんな内容の本を昔読んだことがある。

私の猿轡が好きという趣向・性癖もやはり性欲中枢に起因する現象なのだろうか?

最近よく考えることである。

私の今の諸々のフェチも、やはり幼少期に原因があるのだろうか?

性的趣向は、決して持って生まれたものではなく、後天的な「何か」が要因で生まれるものらしいのだ。

しかし、今思い返しても決して私の「噛ませ猿轡好き」という性的趣向の、決定的な原因やトラウマになるような出来事が思い出せない。

本当に何故私は「猿轡」に異常に興奮する人間になったのだろうか?。

出来ることなら、その原因を知りたいと、最近特に感じることなのである。

自分なりに、本当にいろいろ幼少期の記憶を辿るが、本当に自分では思い当たる事がないのである。

ただ、あえて探してみた。

4.5歳の頃だが、その頃、隣の家に同い年と1歳年上の2人の姉妹がいた。

医者の娘で、可愛くて知的だった(という記憶)。

毎日のように3人で遊んでいた。

この1歳年上の女の子が、私の憧れであり、心のライバルだったような気がする。

この子には何をやってもかなわなかったし、心の奥にいつか追い越してやりたい、という競争心があったのは憶えている。

もしかしたら、あの女の子に対する劣等感やいつかは彼女を克服したい、征服したい、打ちのめしたい、なんていう欲望が、縛られた女性を見て興奮するようになった原点なのかもしれない、などと記憶を辿りながら勝手に考えている所である。

縛り=相手を征服する=興奮、という図式が幼少期にはあったような気がするのだ。

何か女性に対する劣等感と競争心が、私の猿轡の趣向に対する趣向の原点なのではないだろうか。

ここで、私の今現在の猿轡の趣向を書かせていただく。

私も、人それぞれに好みの猿轡が千差万別で或る事は承知している。

インターネット時代になり、たくさんのマニアの趣向を知るにつけ、好みの猿轡のジャンルや噛ませ方、素材がマニア毎に百人百様であることを知らされた。

インターネットに出会うまでの私は、世の中の大半の猿轡マニアは皆、噛ませ派だと勝手に思い込んでいた。

私は、正直いろんな猿轡派が実際存在するのを認識して、びっくりした事を憶えている。

考えてみれば、それは仕方ないことであり、百人百様なのは当然だな、と思う。

それを承知で持論を書かせてもらう。

よく女性の顔の美しさが損なわれるような猿轡に嫌悪感を持ち、被せやガムテープ、コブ無しハミ噛ませが好きなマニアが多いことは承知している。

例えボール猿轡や結びコブのある手拭の猿轡でも小ぶりの方が良い、その方が女性の顔が美しく見える、という向きも多い事も知っているが、私の場合は、大きいボール猿轡や大きな目の結びコブの手拭猿轡で、少し間抜け顔になるくらいの大きさ・強さで必ず赤い唇が綺麗に見える噛ませ方にに魅力を感じてしまう。(ユルユルは論外である)

前にも書いたが、思春期の頃は唇を割って猿轡が噛まされている事が重要であり、結びコブが無くても噛ませであれば十分に満足していた。

それが、段々歳を経るに従って、口を開かせるような猿轡に魅力を感じるようになり、最近は頬がひょうたんのように括れ、伸びきった顎に皺がよるくらい大きな結びコブ(ボール)の猿轡が噛まされた女性に魅力を感じるようになった。

そして、本来、猿轡とは言葉を封じるものである故に、全く言葉が話せないようにするには詰め物をするべきである。

私は、詰め物は大賛成だが、詰め物が外部から見えるのには幻滅を何故か感じてしまう。

おそらく赤い唇が見えない事が原因だと思う。

本当に不思議なことだが、詰め物の布が口の中からはみ出している猿轡は魅力が半減してしまうのである。

しかし、「言葉を封じる」という目的とは別に、猿轡にはもうひとつ女性自身に屈辱感を与えるという役目があるように私には思えるのである。

実はこの効用に私の場合、多いに心が動かされているように思うのである。

これは、一度女性に本心を尋ねたいのであるが、うら若い女性にとって、厳しい猿轡をされた顔、それも被せやガムテープではなく、頬が歪むほどの噛ませ猿轡された顔を友人や職場の同僚に見られたら死ぬほど恥ずかしのではないか?という事である。

それはもしかしたら、全裸や下着姿を見られるのと同じ位、あるいはそれ以上に恥ずかしく感じることではないですか?と聞いてみたい。

なぜなら、女性にとって顔とは、命と同等な位大切な場所であり、その大切な物が他人によって歪められる悔しさ、恥ずかしさ、屈辱感は何物にも替え難いものであるはず。

どうなのであろうか?

もしかしたら、私の勝手な思い込み、想像なのかもしれない。

私には、「猿轡されることは非常に恥ずかしいこと」という思い込みがあるからかも知れない。

私は、美人やプライドの高い女性、社会的地位の高い聡明な女性に対して、口や顎が全く動かせない位詰め物をされた猿轡を噛ませて、悔しそうな顔を見ることに征服感や優越感を感じる方である。

実際、節操が無く、羞恥心の欠片もないようなパッパラパーのお姉ちゃんの猿轡シーンを見ても何も興奮しないのである。

高嶺の花のような、心にプライドを持ったような女性に猿轡を噛ませるからこそ、征服感や陵辱感を感じることが一層出来るのである。

猿轡とは、女性を征服する事の象徴であり、赤い唇が左右に伸び、顎が固定され、さも言葉を完全に封じられた、何も反論出来ない、舌を噛んで死ぬ事も出来ない、大事な顔を歪められ悔しい、そう思わせる女性の顔に特別な魅力を感じる。

大きな結びコブの猿轡が好きな理由も、その事によって女性の顔が滑稽になり、何か美人に心理的な屈辱感を与え、陵辱し屈服させる代用品なのではないだろうか。

きっとモデルの女性は嫌だろうが、そのような猿轡に惹かれるのは、女性に屈辱感を与えて楽しみたいという、私の心の歪みなのではないだろうか。

また、その屈辱感,無念さに必死で耐えている女性の姿にエロティシズムを感じるのである。

顔を大きく変形させたり、顔の一部を責めて女性にダメージを与えるシーンは大嫌いなのだが、口を大きく開かされ、頬が歪むような猿轡で、美形の女性の顔が、少し間抜けに見えるくらいに厳しく噛ませた猿轡が私の最も好みなのである。

また、話が変わる。

これまで観た日本のSMビデオでどうしても理解出来ないことがある。

それは、猿轡された女性モデルの「眼」である。

恍惚に浸るように眼を瞑ったり、死んだ魚のようにトロンとした言葉を発しない死んだ眼をしたモデルのいかに多いことか。

猿轡を噛まされて快感を感じている女性の顔、眼を閉じて何かを耐えているような女性の顔をみるのが好きと言う方が、やはり多数派なのだろうか?

特に私の場合、時代劇なら気位の高い武家女、気の強い女剣士、覚悟を決めたくの一、現代劇なら辣腕な女刑事とか無鉄砲な女新聞記者とかのDIDシーンが大好きである。

そんな男勝りで勝気な女性達(もちろんマゾでもレズでも無い)は生け捕りにされ、猿轡を噛まされたら、口惜しくてキッと睨み返してくれると思っている。

まさか恍惚の表情で眼を瞑り、うっとりと「快感!」なんて表情は浮かべないと思うのである。

この点が、私にとって最大の疑問点であり、正直不満なのである。

やっぱりこれって少数派の願望なのだろうか?

猿轡とは、言葉を封じる道具ではなく、「眼」に言葉を発せさせる道具だと思うのである。

猿轡を噛まされた女性が今どんな気持ちであり、何を訴えたいのかを伝える道具が活きた「眼」なのだと思うのである。

「眼」が猿轡を噛まされた女性の『命』なのである。

私は、カッと眼を見開き思いっきり眼から感情を発散させている女性の顔が好きである。

眼を開き、視聴者と会話が出来るような猿轡シーンが余りにも日本のビデオには少ないように感じて昔から不満に思っていた。

それはビデオの女優の資質が劣り、眼で演技する能力がないのか、はたまた、日本のマニア諸氏が、やはり猿轡シーンでは眼を閉じるような女性の顔を望み、製作者側がそのニーズに応えているのか、昔から疑問に感じていることである。

眼で感情を表現するという点では、海外のボンデージビデオの方が優れているように以前から思っているのだが、海外事情に詳しい方にお伺いした程である。

また、昔の思い出話をさせていただく

1980年に引退したSMの女王・谷ナオミの引退記念写真集の付録のポスターを憶えておられる方はおられるだろうか?

ふすま2/3ほどの大きなポスターにハミ噛ませ猿轡をされた彼女の顔のドアップがあった。写真全部が彼女の巨大な顔という写真であり、すごいインパクトがあった。

もし、仮に私が、緊縛写真集を出版することがあれば(そんな事はあり得ないが)その表紙には、私好みのモデルを選び、その女性の猿轡された巨大な顔にしたいものである。

真ん中に大きな結びコブを作った日本手拭で、口いっぱいにすっぽりとコブが嵌るような大きな本格的な厳しい猿轡をモデルに噛ませてみたい。

手拭は、白地に千鳥や格子柄の手拭を選んでみる。

そして結びコブの布のよじれ具合が鮮明にわかる位のアップにしたい。

コブの括れ具合にもこだわって、幾筋を縊れ筋の出来た、硬くギュッと絞り上げたと思わせるような括れた結び目にしたいものである。

詰め物をした上で大きく口を開かせ、結びコブをかっぽりと嵌め込まれた時の、僅かにに覗き見える白い前歯と、赤い唇の皺と猿轡の手拭の捩れ。

手拭を唾液で変色させてみたい。そこまで長時間噛ませてから撮影してみたい。

本当に厳しく締め上げられたと思わせるくらい、口にぎっちりコブを噛ませてみたい。

この時、髪の上から猿轡を巻くのではなく、女性の髪はアップにさせ、頬、耳の下、そして細いうなじの素肌にしっかりと締め上げるのである。

何故か手拭の真ん中に結びコブを作った猿轡のよじれに、猿轡を噛まされた女性の怨念が滲み出ているような気がするのである。

よじれ具合がはっきりみえる結びコブには、表面がツルツルのボール猿轡にはない被虐感があふれているように感じて、私は断然一番好きな猿轡である。

その上で彼女には,もうこれ以上無いと言うくらいの「怒り」の表情をさせる。

屈辱、恥辱、憤慨、反抗、無念、嫌悪、憎悪という「怒り」のエキスが全部詰まった顔をさせるのだ。

まなこの奥底に「怒り」の炎が燃えている「口惜しそうな眼」、悔しくて堪らずに結びコブを思いっきり噛み締めている口のアップ。 

結びコブが唾液で変色し、白い歯や左右に引き伸ばされた唇の皺。頬に食い込んだ猿轡で頤まで縦皺が出来、毛穴の一つ一つまではっきり解るくらいに間近からの顔のアップ。そんな女性の顔の細部をしっかり表現するのだ。

写真集のタイトルまでも、すでに決めている。(何故かずっと昔から決めています)

『猿轡の恥辱』。恥ずかしくて口惜しい辱め。

「猿轡」とは女性の自尊心にもっと恥辱を与える行為のような気がしている。

(これも私の想像であるが)。

「恥辱」とは、女性にとってもっとも『猿轡』という代物を云い得ている言葉だと思うのである。

更に付け加えさせていただく。

時代劇をご覧になる方ならお分かりだと思うが、時代劇に出てくる猿轡には2種類の用途が使い分けられている。

もちろん一つは声を出すことを防ぐ目的の猿轡。

しかし、時代劇限定かもしれないが、もうひとつ舌を噛んで自害することを防ぐ目的の猿轡がある。

私は、ある時(何時からかははっきり憶えていない)この自害防止の猿轡に特別な魅力を感じるようになった。

ドラマのシュチエーションの中で、自害防止に噛まされた猿轡には、心臓が張り裂けるような興奮を感じるのである。

私自身「猿轡を噛まされる事」またその顔を他人に見られる事が、この世で最高に恥ずかしい恥辱で屈辱的であると感じる人間である。

私ならそんな恥辱を他人に見られるくらいなら、事前に舌を噛んで死んでしまいたいと思う人間である。

それなのに、自害防止に猿轡を噛まされる人間の心の襞を忖度すると、やはり自害防止の猿轡が特別最高の恥辱だと考えてしまうのである。

その昔、時代劇で松平純子さんや松阪慶子さん、山口いずみさんや片平なぎささん、小林由枝さんらが噛まされた竹で作った猿轡は、そういう意味で私には特別な猿轡だと言わざるを得ないのである。

そんな視点で猿轡を分類してランク分けを昔からしてきたと思う。

私は何とか現代のボンデージビデオで自害防止の猿轡を美人が無念にも噛まされるというシュチエーションを誰か作ってくれないかな〜と念願している次第である。

海外のビデオにも、まず存在しないシチュエーションではなかろうか?。

それから、特に最近の私は「女性は30歳からが美しい」という言葉を実感している。

確かに10代や20代前半の女性には若くてはちけれるような美しさがある。

しかし、私の偏見かもしれないが、縛られ猿轡される女性のモデルには、羞恥心のない、ただ「若さ」だけが取り柄の女の子は絶対に似合わないという気持ちがある。

時折雑誌等で見かけるのだが、女子高校生くらいの女性が、半分お遊びみたいにボール猿轡を嵌め、恥らいが微塵もない表情をしている写真を見かけるが、それが例えどんな美少女であっても、不思議なほど何も感じない、逆に醜悪な感じすら受けてしまう。

反面、30歳前後からの女性には体の曲線に柔らかさや色気がある。

経験を積んだものだけが持つ優しさや艶やかさがある。

身悶えする姿に、年輪を重ねた者だけが持つ心の恥らいや、「こんな姿、他人には見られたくない」という女性の羞恥心があるように感じるからである。

猿轡された顔は、年齢を重ねるにしたがって、羞恥心が増えていくように感じるのである。

ところで、女性自身は、いったい何歳くらいから自分の顔のお肌に自信をなくされるものなのだろうか?

至近距離からお肌を見られるのは「イヤッ!」、ばっちりメイクしている(思いっきり厚化粧)のが判るほどの近さからは「見ないで!」という顔に、顎が動かせないほどの厳しいコブ噛ませ猿轡を嵌め、頬や口元に皺が出来て、目許の小皺やお肌の衰えが隠せない女性の自分の顔を、至近距離から撮影される恥ずかしそうな表情の「素敵なおばさん」の心の恥らいや羞恥心がわかる写真に、非常に魅力を感じてドキドキしてしまう。

最近の私は、年齢や外見とは別に、「心の恥らい」とか「女性としての矜持」とかが表情に顕れた女性のボンデージに心を動かされるのである。

子供の頃から、テレビのDIDシーンによって、猿轡好きになった私は、やはり今でもテレビの美人女優のDIDシーンにはやっぱり関心がある。

そこで最近感じるようになったことがある。

若い頃、美人人気女優・美人歌手だったような女優が、結構歳を取ってから、テレビで厳しい噛ませ猿轡を嵌められるシーンを見ると、格別なものを感じるのである。

頬を割るように猿轡が嵌められ、小皺がたくさん見える「おばさん美形女優」に女性の物悲しさが垣間見え、絶妙の色気を感じてしまう。

その女優さんが、若い頃本格的な猿轡シーンの無い女優さんであれば、一層格別な趣が

あり、「よくぞその歳になって猿轡シーンを見せてくださいました。」最高に嬉しくなってしまうのである。

最近よく中国の古典を読むのだが、中国晩唐の詩人・杜牧の名詩『山行』に『霜葉は二月花よりも紅なりき』とある。

冷たい霜を経た真赤なかえでは二月の花(桃の花)より紅くて美しいという詩である。

これは、人生の辛酸を経験した妙齢の女性は、ただ若いだけが取り柄の娘より魅力的であるということだ。

将に名言である。 

そう思って一句考えた。

  『桃よりも 紅いかえでに さるぐつわ』

いかがろう?


(続く)