『化け犬〜ある忠犬の仇討ち』  (作 ベスト氏)

  その3



※ 船宿・杉元屋の1階。

2階から降りてきたお彩。すでに1階の長火鉢の前に肥前屋が座っている。
「あら、旦那様もう、いらしてたんですか?」
「お彩、おめえ、2階でお結様に変な真似してねえだろうな?」と聞く肥前屋。
「当たり前じゃないですか。旦那様の大切な御人でしょうから。ふん!。」
お彩は、肥前屋が若く綺麗なお結に興味津々なのが気に入らない。
「もちろん縛り上げて、それに猿轡も噛ませて、おとなしくさせてますよ!。でも旦那!あんな小便臭い小娘が何でいいんですか?あたしってもんが有りながら。まったくどこがいいんです?あたしは口惜しい!」
と身体を肥前屋に委ねながら、ヤキモチを妬くお彩。思いっきり色っぽい仕草を作る。
「ふふふ」と猿轡姿のお結を想像したかのように、含み笑いの肥前屋。

その時、番頭風の男が、障子を開ける。
「旦那様、今、長崎から使いの者が参っております。明後日の取引の女は何人か?との事に御座います。」
「そうさな、女は3人だと伝えて置け!」と肥前屋。障子を閉める番頭。
「ねえ、旦那様、3人ってどういう事です?あと1人は誰なんです?菜々様とお結様の他にも誰か居るんですか?」と怪訝な顔をするお彩。
肥前屋はこれから宣告する事が、さも面白そうに笑うと、
「ふふふふ。お前らしくも無い事を聞くじゃないか。え?頭の良いお彩もとうとう焼きが廻ったのかい?よっく考えてごらん!ふふふ!………。あと1人はお前さんだよ!」
と言うや否や、お彩の腕を後ろに捻り上げると、懐から素早く細引き縄を出すと、手際良くお彩を縛りはじめたのだ。
「ちょっと旦那!何の真似なんです。ご冗談は止めて下さいな!」
と不意を食らったお彩が喚くように哀願する。
「もう、おめえには用済みなんだよ。第一私の色々な事を知り過ぎたからねえ、それにお前の身体にも厭きたんだよ。異国に行って、南蛮人に可愛がって貰うといいさ!」
と言い終わる頃には、綺麗にお彩を高手小手に縛り上げたていた。
「ちくしょう!あたしまで騙したんだねぇ!この人でなし!鬼!」と喚くお彩。
肥前屋は懐から、無地のグレーの手拭を出すと、器用に結びコブを真ん中に作ると、
「さあ!おとなしくするんだ!」
と言いながら、お彩の大きな口に結びコブが、かっぽりと銜え込むように噛ませた。
「ううーーん!」とうめくお彩。
「お前には随分と世話になったな!まあ、悪く思うなよ!しばらくここでおとなしくしとくんだね。」
畳みに転がされたお彩に声をかけながら肥前屋が笑った。
「さて、と。お結様としっぽりと敷け込む事にしようかな!」
と肥前屋が2階を見上げたちょうどその時だった。
急に外の風の音が強くなったかと思うと、何処からか犬の鳴き声が聞こえてきた。
それも意外なほど大きな鳴き声で、ハッと驚く肥前屋とお彩。大きな結びコブの猿轡が厚化粧のお彩の顔の真ん中で自己主張していて、驚いたように眼を見開いてような顔のお彩。
「ううーん、うん、うん」と呻き声を上げながら、顔を上下左右させている。
行灯の火がすーっと消えると、障子に何故か大きな獣の頭の影が映り、次ぎの瞬間、肥前屋の絶叫とともに、障子に返り血がパッと飛び散った。
傍らには恐怖に慄いた顔のお彩。
猿轡越しに「キャー!」と喚いている。
お彩の顔にも返り血がかかり、後ろ手に縛られたまま後ずさりしている。
猿轡のまま恐怖に慄くお彩の顔のアップのあとに又新たな絶叫とともに、また返り血が部屋中に飛び散った。
血の海の部屋の中で死んでいる2人の男女の遺体が残されているシーンが続く。


※再び肥前屋の別宅の土蔵の中。

猿轡を噛み締めて目の前の国家老を睨みつけている菜々の顔のアップ。
本当に口惜しくて無念で怒ったような眼差しでキッと正面を見据え、紺の小紋柄の手拭の結びコブを、深く口の奥に噛み込んでいる。
唇の端と頬にしわがよっていて、唇の両端の手拭が捩れて唾液で変色している。
その表情は馬がハミを銜えているように見え、「テレビDID史上最高傑作」と後世まで語られる伝説になる正面からのワンシーンである。

国家老・蚊取船侯がスケベ親爺全開で、菜々に迫ろうとしていた。
四つんばいになりながら、涎を垂らさんばかりの顔で舐めるように縛られた菜々の全身を見ながら接近してきていたのだ。
「菜々殿!とうとう2人きりになったのう!ふふふ。この時をどれほど待ち焦がれた事か!今宵は誰の邪魔も入らぬぞ!」
さすがの菜々も貞操の危機が目前に迫ったことを悟り、
「ウンン−ン!」と呻き声を振り絞って身体を揺すった。
この世でもっとも汚らしいものを見るかのような菜々の鋭い眼光からは(寄るなけがらわしい!指一本でも触れたら舌を噛みきって死にますよ!)と言っているように見えた。
「何もそのように邪険にせずとも、良いではないか!ふふ。おおー、そうじゃ、そうじゃ、今しがた使いが参ってなあ、義理の妹御の結とか申す娘も無事拐わかしたと連絡があったぞ!」。
ハッと顔を上げ、再び家老を睨み返す菜々。
「この上、菜々殿が舌を噛んで自害したら、妹御の命までなくなるのじゃぞ。妹御の命を助けとうはないか?。どれどれ、いい加減に我を折らぬか?さすれば、このような無粋な猿轡など外して進ぜよう!これではさぞ辛かろう!どうじゃ、首を縦に振らぬか?」
とお為ごかしに言いながら国家老の手が、正座をしている菜々の着物の裾に伸び、身を捩って菜々が身体を揺すった時であった。
土蔵の中に突然、犬の大きな鳴き声が聞こえ、またも蝋燭の灯が消えたのである。

それからが、このドラマのクライマックスであった。ホラードラマの見せ場である恐怖シーンが流れ続けたのある。化け犬に襲われ恐怖のどん底を味わう国家老と同じく驚きのあまり、眼を見開き、猿轡を深く噛み込んで巨大で獰猛な黒犬を見つめる菜々の顔のアップシーンが延々と流されたのである。
最後に国家老の返り血が菜々の白装束を真赤に汚し、顔にも返り血がかかったシーンで終わるののである。

翌早朝、お城の濠割に国家老の倅・蚊取信之介の遺体が浮き、人々が騒いでいるシーンがラストであった。
国家老の屋敷に役人たちが出向くと、屋敷中が血の海であり、家臣たちの皆殺されているシーンのエンディングの後、旅装束の女性・2人が街道を歩いている後ろ姿を見せながらの「完」の文字が浮き上がってきたのであった。
2人の女性は、その後江戸に出向き、歌舞伎役者と結婚し、「中村屋」を興したと伝えられているのである。

350年もの間、九州のある地方の人々に言い伝えられた「化け犬騒動」。語り継がれる史実を再現したというだけあって、それはそれは恐ろしい物語であった。 〜ベスト〜