『化け犬〜ある忠犬の仇討ち』  (作 ベスト氏)

  その1



これは、ボンデージ評論家のベスト氏が1昨年、九州を旅行した際、たまたま見た地元テレビ局開局40周年の記念ドラマである。
今から350年前、九州地方に在った36万石の雄藩を揺るがした有名な『化け犬騒動』の顛末を史実に沿って再現した怪奇時代劇2時間ドラマである。
地元でのみの放映の為、全国的にはまったく知られていない番組であり、今回、ベスト氏が記憶を元に、ドラマの脚本を忠実に再現してみた物語の一部分である。

         

ドラマは、今から350年前、九州地方の雄藩の勘定吟味方・反町某が、国家老と廻船問屋が密かに結び抜け荷を行っている事実を掴んだことから始まる「有名な怪談話」である。
動かぬ証拠を握られた国家老は、倅たちを使って反町某を闇討ちにするのである。
しかし、言い伝えによると、殺されたその死体の傍には、反町某が可愛がっていた黒い一匹の犬が、どす黒い血を舐めながらいつまでも鳴いていたといわれている。



※卯の下刻。城下を流れる嘉瀬川の河原。
朝靄の立ち込める河原で、1人の背の高い武家の妻女が、仇討ちに臨んでいた。
妻女は亡き夫の仇を討つ為、果たし状を突きつけていたのだ。
しかし、白装束に白足袋、白い鉢巻をし、小太刀を手にしたその妻女の前に2人の男が立ち、ひとりの商人風の中年の男が右手に短筒を持って、妻女に銃口を向けていた。
「さあ、おとなしく得物をお捨て下さいませ。!いくら小太刀の名人でも飛び道具には敵いますまい。」とほくそ笑みながら話す商人風の中年男。
「おのれぇ、蚊取信之介!卑怯な!御目付け様からも許された尋常な仇討ちですよ!武士らしく正々堂々と立会いなされませ!」
と妻女は商人のかたわらに立つ若い武士に言っ放った。
「御目付け様だと!ははは!目付・松健太郎は我らにすでに懐柔されておるわ!」
と喚く若侍・蚊取信之介。
その言葉に動揺する妻女。
実は、妻女の小太刀の腕前は、直新陰流の免許皆伝であり、西国一の女武者と言われるほどの剣の達人であったのである。
しかし、さすがの妻女もその言葉で、一瞬心に動揺が走り、隙を作ってしまったのである。
それを見透かしたかのように、物陰から浪人風の侍が、突如現われ、刀の鞘で、妻女の小太刀を払い落すと、「それ!」と言う合図に、多勢の男達が草むらから襲いかかり、妻女は無残にも絡め取られてしまった。
河原で両腕を浪人達から捻り上げられて、押さえつけられた妻女は、
「おのれー!卑劣な!これが武士のする事ですか!」と叫び、無念の表情を浮かべた。
その後、覚悟を決めたかのように、口唇を噛むと、顔を下の背けたのである。
次ぎの瞬間、蚊取信之介が妻女のあごと頬を鷲掴みにすると、
「お〜っと、そうは参らぬ!。生け捕りにして参れとの父上からの仰せでのぉ!舌を噛まれては元も子もないわ!それッ!クツワを噛ませろ!」
と浪人達に命じたのである。
背後に居た浪人の1人が、素早く懐から煮しめたような手拭を出すと、器用に結びコブを手拭の真ん中に作ったのである。


※肥前屋の別宅。
別宅の側の掘割の船着場。
屋形船から、頭巾を被った身形の立派な侍が降り立つ。国家老・蚊取船侯である。
「これは、これは御家老様!お待ち致しておりました!さあ、中へ!」
侍を屋敷の中に招き入れる。床の間のある豪華な部屋で相対する2人。
「ところで肥前屋。首尾はどうであった?」
「万事手筈通り相成りましてございますよ、御家老様!。ふふふ、いくら女武蔵とか言われる小太刀の達人でも、所詮はおなごのお遊び。他愛もないものでございます。」
「ウム。さすがは肥前屋じゃ、ぬかりはないのう!で、倅は無事であろうな?」
「もちろんでございますよ。何のお怪我も御座いません。しかし、御家老様も悪でございますな!夫を闇討ちにして殺害しておきながら、御目付け役様を懐柔して、国家老の子息と、さも尋常な仇討ち出来るかのように御妻女をそそのかさせて、密かに誘い出し、数を頼みに絡み捕り、我が物になされようとは!恐れ入ってございます。」
「何を申す、肥前屋、抜け荷の証拠を、勘定吟味方の反町龍之進に暴かれ、早く始末をしてくれ、と頼んだのはその方だぞ!」
そこで、家老は元々、反町龍之進に遺恨を持っていた倅・信之介と腕の立つ侍数名を付け,闇討ちにしたのである。
「これで邪魔ものは居なくなってございます。今まで以上に抜け荷で儲けさせていただきます。その際には御家老様にもたっぷりと!」
「肥前屋!その方も悪よの!ははは!」とお決まりの会話で始ったのだ。

「で、肝心の菜々殿はいかがした?」
「ふふ、御家老様が永年懸想されておられた大切な御方でございますもの。丁重に土蔵の中にお連れ致してございます!もちろんここにお連れした事は誰にも見られては居りません。」
「まさか怪我などさせたりはしては、おるまいの!」
「御懸念には及びません!傷など、ひとつも付けさせてはおりません。ただ、」
「ただ、何じゃ、早う申せ!」
「ふふふ、それが、捕らえました時、健気にも舌を噛もうと成されましたので、猿轡を噛ませて差し上げてございます。大事な大事なご家老様の想いのお人でございますもの。御自害なぞされては元も子もございませんので!ふふふ。、」
「自害しようと致したか?殊勝なことよ!ふふふ。」
「では、お待ちかねで御座いましょう。早速ご覧になられますかな。土蔵の中で、御家老様が見えられるのを、大人しくお待ちでございますよ。ふふふ。」

※肥前屋の別宅の土蔵
仇討ちの白装束姿の菜々が端座している。
武家の妻女らしく背筋をピンと伸ばし白装束で正座している姿が美しい。
後ろ手に縛られ、縄尻が柱に結わえ付けられている。
そして、口には小紋柄の手拭に小ぶりの結びコブが真ん中に作られた猿轡を、唇を割って厳しく噛まされている。
真正面を正眼している菜々の表情をやや斜めからのカメラ。
噛まされた猿轡を悔しそうにグッと噛み締めた菜々の顔は、苛酷な運命を必死に耐えている武家女のいじらしさが表れているような実にいい表情なのだ。
白鉢巻に仇討ちの白装束の着物姿で、乳房の上下を荒縄で2重に厳しく縛められた姿が、仇討ちをしくじった女の無念さを一層引き立てている。


 
安田成之 画 fetish land  (この挿絵は作者である安田画伯の許可を頂いて転載しているものです)


【もうメジャー女優に成っていた反町菜々子。どうせユルユルの猿轡ではないだろうか?、と予想していたが、見事に予想を裏切って手抜きの無い、キチン厳しく噛まされた結びコブの猿轡に、視聴していた評論家のベスト氏は狂喜乱舞したいほど嬉しくなった。それに通常、時代劇では白装束や、白無垢の花嫁姿の猿轡には白布が圧倒的に多いが、濃紺の小紋柄の手拭を噛ませており、白装束に柄手拭が鮮やかに浮き上がって見えて美しく、ベスト氏は胸が締めつけられるようだった。】

下帯の扱きが乱れ、帯からずり落ちていて、捕らわれた時の抵抗の痕を見せている。
家老と肥前屋が入って行くと、一瞬、2人を見上げて睨みつけた後、眼を落す。
憎むべき仇一味に、逆に縄目の恥辱を受け、死ぬ事さえならぬ無念さが表れている。

「これはこれは、菜々殿。相変わらずお美しい!さすがは藩内一の美貌と謳われた菜々殿じゃ!。嫁がれて一層綺麗に成られたと聞いておったが噂に違わぬお美しさよのお!はははは。夫・反町龍之進の無念を晴らす為、仇討ちとは殊勝な事と誉めてあげたいが、倅を討たせる訳にはいかぬのでな!……… いかがかな、菜々殿。今のご気分は!」
猿轡された菜々は、結びコブの猿轡をキツく噛み締め、呻き声も出さずに悔しそうな眼差しで悪家老をキッと睨み返す。

(おのれ、卑劣な!それでもあなたは侍ですか?仮にも国を預かる国家老の為さる事ですか?恥を知りなさい)と言う菜々の声が聞こえてきそうな眼差しである。
「しかし、肥前屋!。そちも無粋よのう!。菜々殿の顔に猿轡とは!。これでは、藩内一の美形が台無しじゃわ!。それに之ほど厳しく噛ませては、さぞ辛かろう。可哀想に!。」
そう言うと、家老は菜々の顔に手をやり、あごを触った。
(寄るな!穢らわしい!死んでも菜々はその方どもの想いのままにはならぬ!)そんな感じにで菜々は首を振って手を払いのけると、顔を背け、眼だけ家老に向けて睨んだ。

【女優はドラマの中で猿轡を噛まされて、眼がセリフを放つようになって始めて1人前の女優である。言葉を発せずとも、眼差しに言葉を出す反町菜々子の姿にくらっときたのをベスト氏は思い出す。】

「ハイ、御家老様!申し訳御座いません。しかし、このような御姿も満更悪くはございますまい。ふふふ。後で、ゆっくりと観念させてご覧に入れます。今しばらくお待ちを!」
「何か良い思案でもあるのか?」
「ハイ。ただ、御家老様!想いを遂げられるのは一晩だけにして頂きとう御座います。何と言っても、菜々様と御家老様は仇同士の父御と妻の間柄。狭い御城下で御座います。いつまでも人目に付かぬはずは御座いません。囲い者になど、世間が許すはずもなく、いずれ我々の身の破滅になるか、と存じますが。」
「うーん!、しかし、まさか始末する訳ではあるまい!」
「まさか!菜々様ほどの御器量を持った女姓(にょしょう)など日の本広しと言えども、滅多に居られません。嘉瀬川を下ればすぐに、有明の海。長崎とは目と鼻の先で御座いますよ!。ほほほ」
「では、また異国に売りさばくと申すのか?」
「仕方御座いますまい。武家の奥方なら、高値で売れまする。!」
「そちは、島原の乱の時もそうやって、荒稼ぎしたよのぉ!」
「所詮あれは、土臭いキリシタンの百姓娘!南蛮商人には今一つ不興に御座いました。南蛮人は高貴な武家娘を望んでおります。菜々様なら一体いくらの値が付くが想像も尽きません!」この間、傍で二人の会話をじっと見詰める菜々。

「ところで、肥前屋。ちょっと気になる事があるのじゃ。目付けの松健太郎が怪死したのを存じているか?」と声を潜める家老。
「え!……」と肥前屋。あの懐柔された御目付様である。
「それがのぉ、実は昨夜、寝室で変死したのじゃ!、家人の話では、部屋中が血の海で、無残な死に方だったそうじゃが、斬られた痕も無く、首筋に大きな獣に噛まれたような歯型がついていたそうじゃ。何でも昨晩は大きな犬の鳴き声がよく聞こえたとの話じゃ」
顔を見合わせる2人。

そこで又また、思い返したように、家老が話しを変える。
「おお、そうじゃ、そうじや、確か反町には実の妹御がいると聞いたがまことか?」
「御家老様もお耳が聡うございますな!おられますとも。同じ町内の叔父筋の中村家には子が無く、幼い頃、養女の縁組をなされ、家を出られた結様といわれる娘御が居られます。性は違えど実の兄妹であられます。竹内町小町ともっぱらの評判の美形でございます。それはそれは見目麗しくお美しくて、結殿を誰が娶るかと、城下の若い皆様の間では大変でございますよ。」
義理の妹のお結の事が、悪党達の話題になり、菜々はドキリとして2人を見上げた。
「実はその事で御座いますよ。御家老様!」
そう言うと肥前屋は笑いを噛み殺した。
「何と言っても、反町様の実の妹君。何を聞かされておられるやも知れません。何かに感づいて、江戸の殿に直訴などされぬとも限りませんので。策を用いて拐わかそうと思っております。念には念を押して、口を塞がぬと!やはり千丈の堤も蟻の一穴から,と申しますので!」
「さすがは肥前屋!抜かりないのぉ!一緒に長崎で売る気じゃな!」
「御意!。まもなく致しますと、ここに御家老もご存知の杉元屋のお彩が参ります。あの者を使って、人目の無いところに誘い出し、ここに連れて参ろうかと!おなごの方が結様も油断されるのではと思いましてな!そこで、御家老にお許しを頂きたいのですが、わたくしにも一晩だけ、そのお結様を拝借したい!と考えております。」
「何!その方がお結をか!、そちにはお彩が居るではないか?ふふふ。まあ、よい。好きに致せ!」
「わたくし、御武家の女姓(にょしょう)とは、まだこれまで一度も!ハイ。一度高貴な御武家の娘御を味おうてみとう御座います故!。そこでお彩ですが」
そこまで言うと肥前屋は声を潜め、家老に何か耳打ちしたのだ。
家老の顔が崩れた。「まことその方は悪い奴よのぉ!」笑う家老。
この時初めて、猿轡を噛まされている菜々から、「ううーん」(やめて!)という呻き声が洩れた。
「これは!これは!菜々様には御辛い話でしたな!義理とはいえ妹ですからな!ははは」


そこに丁度、船宿・杉元屋のお彩がやってきた。
「ごめんくださいまし」と言って蔵の中に入ってきた。
「まあ!これはこれは御家老様!ご無沙汰致しております。杉元屋のお彩で御座います」
「ウム!。いつみても相変わらず美しいのぉ!」
「まあ!ご家老様っていつもお上手!お褒めに預かり嬉しゅうございますわ。」

そして、奥の方に目を移すと、奥の柱に縛られている菜々に気付くお彩。
「まあ!この方が反町菜々様ですね!評判通りお美しい方ですわ!」とほくそえむ。
「でも、旦那様。こんな人里離れた所に押し込めておいて、猿轡なんてあんまりじゃないんです?声たてられても、誰にも聞こえはしませんよ!。これじゃお辛ろう御座いましょう。随分キツく噛ませてあります事。!」
「こうして置かぬと、自害されるのでな!気が強い事で評判の御妻女なのじゃ」と家老。
「まあ!御武家の御妻女も窮屈なんですねぇ!旦那に死なれたくらいで、自分まで死ななくってもいいじゃないですか?。ねえ、奥様!私も去年、団の鬼七っていう盗人一味に縛られ猿轡されて朝まで転がされた事があるんですけどね。そりゃ、猿轡が辛かったのをよく憶えてるんですよ。口の中がカラカラになってあごが痺れましてね!ですから、奥様の今の辛さがよっく解かるんですよ!いい加減、我を折られたほうが宜しいですよ!ほほほほ」言葉とは裏腹に全く同情しておらず、逆に嬉しそうである。
「さあ、お彩。お結様も誘き出す段取りをしよう!」そう誘われて3人は土蔵をでて行った。

【この長い会話の間、頻繁に菜々の表情が映し出される。猿轡を噛まされ、呻き声すらほとんど出してはいなが、微妙に表情が変わり、視聴者に捕らわれの菜々の心情が斟酌出来るような作り方にベスト氏は好感を持ったのであった。】

2人が去った後、土蔵の中に取り残された菜々。
相変わらず背筋をピンと伸ばして、正座して縛められた姿をカメラがぐるりと回りながら撮影していく。
首を少し垂れ、身じろぎもせず、呻き声も上げず、前方3m辺りの一点を伏目がちに凝視している菜々の姿の美しさ。
噛まされた猿轡の結びコブを、口深くまで噛み込み銜え込むように噛み締めている。
口元の両端には、手拭が絞まり、強く噛まされている風情が漂っており、下唇の下の顎先に出来たいくつもの縦皺が、服従しない武家の妻女の意思の強さを表現していたのだ。

テレビでは、そこに想い出のシーンが2重映しに描き出される。
1年前、松嶋家から嫁いだ時の婚礼の白無垢シーン。仲睦まじい夫婦の思い出のシーン。拾ってきた黒い子犬を我が子のように可愛がる夫・龍之進。
どこに行くにも、その愛犬は夫の後をついていっていた。
そして、龍之進が無残にも斬り殺された時、その亡骸の傍に、黒い犬が居て、血を舐めて鳴いていた、と他人の口に上っていると聞いた。城下では奇怪と噂になっていた。あの日から、愛犬は自宅には帰ってきていなかった。

その時、蔵の中のどこからともなく犬の鳴き声が聞こえてくる。「ハッ」とする菜々。
(クロ。その声はクロね。)菜々自身の心の声。(クロ何処に行っていたの。旦那様が無念の死を遂げられた時から何処かにいなくなってしまっていたのに。お願い!旦那様とお話出来るのなら、伝えて!菜々はもう!菜々はもう!くじけてしまいそうです!と)